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人生で初めて食べたハンバーガー

美と健康を通して地球環境浄化(^◇^)地球の応援団 団長こと鳥辺康則です。

私が生まれて以降初めて食べたハンバーガーが、新潟県三条市にできた「ドムドムバガー」でした。

牛肉が高価な時代に、手ごろな価格で夢のビーフ食べれると子供ながらに心ワクワクしたものです。

そんなドムドムバーガーはご存知の人も多いと思いますが、ダイエー創業者の中内功さんが何物入りで日本で立ち上げたチェーン店なのです。

ダイエー全盛期には店内の食品売り場に併設される形で店舗数を伸ばし、最盛期には全国に355店舗展開いたしました。

そのドムドムが、ダイエーグループを離れると言うニュースが流れました。
運営元のダイエー子会社、オレンジフードコートから ホテル事業などを手がけるレンブラントホールディングスに譲渡されると言うことです。
現在ある 55店舗のうち 36店舗名7月にも譲渡し、残りの店舗はクレープ店などへ事業転換を検討してるということです。

もしかするとドムドムが日本から消えるのかも?と心配してしまうニュースです。
(私だけ?(^◇^)

知る人ぞ知る話ですが、ドムドムは日本のハンバーガーチェーンとしては、あのマクドナルドよりも長い歴史を持つお店なのです。

そしてドムドムとマクドナルドには根深い因縁のストーリーが数多くあります。

ダイエー同業者の中内さんは好奇心が強く新し物好きで、海外に出かけ面白い商品やヒットしそうな外食業態があると積極的に導入した経緯があります。

そんな中1965年に米国の株式市場に上場し急性期を続けていたハンバーガーチェーンのマクドナルドに着目し、エリアフランチャイズ契約を結びダイエー店内などに展開することを試みました。

そんな中で中内さんは商社ルートなどを活用し、マクドナルド創業者のレイ・クロックに会いマクドナルドの日本におけるエリアフランチャイズ契約を申し出たと言うことです。

何度かの交渉の結果、調印寸前まで進んだそうですが、最後の合弁会社の出資比率の問題で中内さん側の「ダイエー51%:米国マクドナルド49%」とクロック側の「米国マクドナルド50%:ダイエー50%」と主張が分かれ決裂した過去があります。

中内さんは経営の主導権をとることにとにかく固執したからだと言われています。

そんな時にクロックと会談したのが日本マクドナルド創業者の藤田さんだったのです。

藤田さんが出した提案は「出資金50% : 50%」「社長以下全員を日本人とする」て言うものです。
クロックはこの条件をのんで日本でマクドナルドが展開することになりました。

ダイエーの中内さんとしては、藤田さんが横槍を入れて米国マクドナルド度の契約を結んだと!激怒したということです。

憎き!藤田マクドナルド。「よし、それならばダイエーグループの総力を結集して、自前のハンバーガーを作ってやる!」と 言い、マクドナルドつぶしで作り上げたのが実を言うとドムドムバーガーなのです。

そして1970年2月、株式会社ドムドムを設立。ダイエー町田店内に日本最初のハンバーガー店舗「ドムドムバーガー」1号店をオープンしました。

それから1年5後ヶ月後の1971年7月に日本マクドナルド1号店が銀座にオープンいたしました。

マクドナルド銀座店は米国風の食スタイルを出現させ、日本人にカルチャーショックを与えました。一方、ドムドムは日本発祥のローカルハンバーガーの域を出ずに、藤田マクドナルドのようなインパクトに欠けたと言うことです。
多くの日本人がドムドムではなく、マクドナルド銀座店が日本最初のハンバーガー店だと認識してしまったのです。

ご存知の通り藤田マクドナルドは、銀座店の大成功をバネにその後全国3,000店舗を起こす巨大なハンバーガーチェーンに成長していったのです。

中内さんの怒りは収まりません!そこで次にマクドナルド対抗するため対策をとったのです。
それが1,970年代後半に米国でマックキラーと呼ばれ急成長していた「ウェンディーズ」の導入であったのです。

そして1980年5月、銀座7丁目の中央通り沿いにウェンディーズ1号店がオープンしました。

ところがタイミング的に時期が悪かった。バブル時代の1,980年代後半には店舗の入居時の保証金や賃料の負担が重く、売り上げはあっても利益が出ない体質になってしまったのです。

収益力の高いトムトムが、ウェンディーズの赤字を補填する格好になりました。
「二兎を追うものは一兎をも得ず」という迷宮に入ってしまったのです。

その後ダイエーはバブル崩壊、加えて1955年1月阪神・淡路大震災などの災害にあい、大阪や神戸など関西を基盤としてきたダイエーは金銭的にも膨大な被害を受け転落し始めたと言われています。

その後ウェンディーズの株式はダイエーが外食大手のゼンショーに売却しました。そして全勝は2009年12月米国ウェンディーズとのフランチャイズ契約満期を機に契約を更新せずに事業終了と言う形になりました。

その後ウェンディーズは2011年3月に米国のドミノピザを日本市場に定着させた「ヒガ・インダストリーズと資本業務提携し、「ウェンディーズ・ジャパン合同会社」を設立しました。

時代の変化とともに今では、アメリカから高級ハンバーガーの「シェイクシャック」や「カールスジュニア」などが次々と日本に上陸しています。

中内さんと藤田さん、そしてクロック。お三人とも残念ながら今はお亡くなりになっております。

時流と言う流れの中で、当時は競争原理が働いており「争って勝った方が富を得る!」「会社を大きくできる!」と言う時代であったと思います。

やったらやり返す!この因縁ともわれる戦いの中で日本のハンバーガー業界は成長してきたとも言えます。

しかし今の時代の流れ「時流」は競争原理ではな、共生原理が働いていると言われております。

そんな時代の流れと変化とともに我々も時流に乗らなければならないのです。

だからこそ過去の偉大な偉人達がやってきたこれらのことも、その時代だったから成し遂げた教訓だといえます。

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