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人間はある意味残酷なのかもしれないと思った

昨日「運び屋」と言う映画を見てつくづく家族とは何なのか?ってことを考えさせられました

久しぶりに大泣きしましたw

株式会社 日向の鳥辺康則です(^◇^)

TVを見ると連日のように子供を虐待している親の映像が映ります

子供は親に頼るしかないのに、その親によってひどい虐待を受けることを想像すると背筋がゾッとします

ちなみに私の妻に聞いたところフィリピンではそのような虐待はないと言うことです

しつけのために厳しくする親はいても、行き過ぎた虐待によって死に至る事はないと言うことです

子供は命をかけてでも守る存在だということです

家族以上に大切な存在がなく、家族のために生きているようなものだと言っていました

言葉に深みがありすごく心に刺さります

ペルーで発見された残酷な儀式の生贄


CNNニュースを見ていたら心が痛くなるニュースが流れてきました

それは、南米ペルー北部の沿岸部で15世紀の遺跡を調べていた考古学研究チームが驚異的なものを発掘したのです

それは、子供137人及び成人3人の人骨、ラマの赤ちゃん200頭以上の骨格を発掘したとのことです

何とその子供137人が何らかの儀式によって神

に捧げられた生贄だったと言うことなのです

生贄の儀式は当時の古代文明に広く浸透していったものと言われています

自分の子供を生贄のために捧げられますか?

考えただけでゾッとします

子供の人骨は5〜14歳のものだと推定されています

発見された子供たちの人骨の所骨が折れていることを推定すると心臓を取り出されて捧げられたと言うことです

まるでホラー映画のワンシーンのような状態が古代文明では現実に行われていたと言うことなのです

推定では大規模な暴風や洪水に見舞われたことを防ぐために生贄として捧げられたと言うことです

神さまはそんな残酷な存在ではないと思います

常に愛そのものだと思っています

しかし、ある種の信仰なのか洗脳なのか、当時の時代では災いは生贄によって妨げられると考えられていたみたいです

そんなニュースを見ていて本当に人間はある意味残酷だと思いました

我が子を生贄に捧げることができますか?

最低限私は絶対にできないので、小さな子供たちを心臓を取り出し神に捧げるなど考えることができません

人間の本質の中でその残虐さが潜んでいると思うと考えさせられます

逆に残虐ではなく、儀式として本当に尊いものが行われていたとしたら、たとえ宗教や洗脳のであっても考えさせられます

自分が絶対正しいとは思いませんが、少なくとも私はこのニュースを見て本当に嫌な気分になりました

皆さんはどんな風に感じますか?(^◇^)

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