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映画「ナチュラル ウーマン」を観て思うこと

美と健康を通して地球環境浄化(^◇^)

地球の応援団長こと鳥辺康則です

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鳥辺康則(とりちゃん)の生い立ち

先日 映画「ナチュラルウーマン」を観てきました

トランスジェンダーが主人公の映画なのですが、今までに見たことないぐらい力強く自分らしく深い愛に満ち溢れた映画でした

トランスジェンダーって何?と言う方も多いかもしれません

トランスジェンダーとは一般的に、産まれた時の性別と自分で認識してる性別が異なる人のことを意味しています

簡単に言うと性別は男性で生まれたのですが、本人は女性だと認識しているとのことです

最近はテレビ等でも、おねえタレントなどと呼ばれる人々が活躍していますので、イメージがつきやすいかもしれませんね

テレビで見てる分には楽しいですし共感が持てる方も多いと思います

しかし・・・・

もしあなたの息子さんが連れてきた彼女がトランスジェンダーだったら・・・

もしあなたのお父さんが付き合ってる人がトランスジェンダーだったら・・・

もしあなたの旦那さんの浮気相手がトランスジェンダーだったら・・・

実際にどのような心境になりますでしょうか?

ナチュラルウーマンのストーリー


トランスジェンダーである主人公のマリーナは、ウェイトレスをしながらナイトクラブで歌っているごく普通の人です

歳の離れた恋人オルランドと慎ましく暮らしていました

マリーナの誕生日を祝った夜、自宅のベットでオルランドは突然意識が薄れてなくなってしまいます

最愛の人を失った悲しみの最中にもかかわらず、マリーナはトランスジェンダーであるが故に不躾で容赦のない、差別や偏見を浴びせられます

2人で暮らしていた部屋から追い出され、葬儀にも参列させてもらえない

マリーナにとって、ただ愛する人に最後の別れを告げたい、それだけが唯一の望みだったにもかかわらず・・・

強烈に印象に残っている事は、容赦ない差別や嫌がらせにも関わらず力強く生きる主人公の姿です

「私らしく、私を生きる!」

決してトランスジェンダーであることを恥じるのではなく、隠すのではなく堂々とそれを受け入れて強く生きる姿なのです

私はその姿に涙をしながら共感をしました

劇中の主人公マリーナは、一切悪いこともしていませんし、暴力も振っていません

ただ純粋に1人の女性として、心から愛していた恋人が死んでしまい、最後のお別れを言いたいだけなのです

しかし亡くなったオルランドの元妻や、息子、友人などから必要もない差別と嫌がらせを受けます

それでも彼女は屈しることなく自分らしく生きていくのです

逆境負けず、自己肯定しながらまっすぐ進もうとするマリーナから、「自分らしく生きる!」と言う事はどういうことなのかを本当に考えさせられました

マリーナが人生の「向かい風」を象徴する嵐の中を歩いていくシーンがとても印象深く心に残ります

個性は悪では無いと思います


日本はとにかく個性をなかなか認めない国だと思っています

学校教育の中で、同じ制服・同じヘアスタイル・同じ考え方・同じ行動が正しいと教育されます

つまり皆んながすることが正しいことだと教育されてきているのです

異端を嫌い、はみ出た個性もなかなか受け入れられないのが事実です

日本国内にもトランスジェンダーと言われる方々はたくさんいます

しかし昔はそれをカミングアウトできない社会性や風潮があったと思います

しかし、現代は「個性」が価値の時代です

テレビをつければ多くのオネエタレントが活躍できるそんな時代でもあります

問題は「自分らしく、自分を生きているのか」と言うことだと思います

言い方を変えれば、本当の自分と偽りの自分があるのだとすれば解放するべき時代ということです

特にSNSが普及している今の時代、その個性が本当に価値になってきています

昔は、秋葉原界隈を歩くオタクと結方々は隠れながら人生を生きていました

しかし、今は堂々とオタクを公言し仲間が集まりコミュニティーができる時代です

個性」は隠すものではない時代です

自分に偽りなく、自分らしく生きるためには自分を解放し「個性」を発信するべきだと思います

それに対して社会は冷たいかもしれません

周りは偏見や嫌がらせをしてくるかもしれません

でも1番大切なのはどんな逆境や困難があっても自分らしく生きることだと思います

差別や偏見は無くならない


米国のトランプ大統領がトランスジェンダーを米軍に受け入れない方針を表明しています

あのアメリカでさえいまだにトランスジェンダーへの理解や人としての受け入れが完璧になされているとは言えないのです

であれば、島国である日本では理解できる人の方が少ないとも言えるかもしれません

実際に日本国内では多くの差別や偏見がたくさんあります

私の妻は日本人ではありませんが、そのことに対しても日常生活において不条理な差別や偏見をたくさん感じます

何も悪いことをしてるわけでもなく、中国人のようなマナーの悪いこともしていません

ただ日本人で無いだけで差別や偏見を受けるのです

タクシーの乗車拒否や飲食店の入店拒否は多くありますし、子供たちはハーフと言うだけで異端的に見られます

私の母でさえ当初外国人の方と付き合ってるとした時は偏見の塊でした

酷い言葉をたくさん浴びせられました

その経験を経て思う事は、日本人は異端に対して免疫がなく怖がっていると言うことです

私は少しだけ若い時にカナダに住んでいました

友達は日本人は1人もいなかったので、様々な国の方々と毎日生活していました

そして友達の中にはゲイやトランスジェンダーの人もいました

そのような経験から、肌の色の違いや性別マイノリティーの違いに違和感を感じなくなったんだと思います

であるならば、日本人はもっと海外の外に出ていくべきだと私は思います

誰でも未知なるものや異端は怖いのです

しかしそれを乗り越えた時に新なる気づきや大きな世界観が現れると思います

もっと世界へ積極的に出ていくべきだと思っているのです

閉鎖性の強い日本で良いのか?


少しずつですが日本人の島国根性と言う閉鎖性は解消されてきている傾向があると思います

2016年の入国管理局の統計によれば、年間1700万人以上の日本人が海外に行き、2400万人以上の外国人が日本に入国してきている事実がありす

日本への入国者は昨年はそれを遥かに上待っている数になっています

外国人に入国者は5年間で4倍と急増しているのが事実です

人口が現実に減少し、少子高齢化に直面している日本が、外国人や外国人労働者を受け入れないと言うのは無理があると思います

今現在では高齢化で不足している看護師や介護福祉士などが海外から労働者として日本に入ってきています

しかし、今後は高度な技術や知識を持った外国人労働者を積極的に受け入れざる得ない状況になってきているとも言われています

その先にはAIによるほとんどの仕事がなくなる時代が待ち構えているとも言われます

つまりは、日本人は島国で日本人だけの関わりで生きていけばいいと言う時代は終わったのだと思っています

仕事仲間が肌や言語の違う人だったり、学校の友達が異国人だったりすることが起こってもおかしくないと思います

現に私の子供たちが通っている東京都内の小学校では、たくさんのハーフの子たちもいます

PTA等で行事に参加すると様々な国の保護者の方がおられます

見た目や肌の色、性的マイノリティーの違いによって差別することの少ない小学校ですが、これは都心の一部の小学校だけであり、地方に行くとまだまだ差別感が強いものも感じます

まとめると、人を見た目や肌の色だけで決めるのではなく、関わってその人の中身を見て欲しいのです

実際に映画の中でのマリーナは、本当に心が優しく純粋な愛に満ち溢れた1人の女性なのです

その人と関わらなければ人間性の中身を見ることができないかもしれませんが、少なからず関わってみようと思う事は大切だと思います

そして自分に偽りがなく、自分らしく自分を生きる人を認めて欲しいのです

ナチュラルウーマンの映画を見てそんなことを感じさせていただきました

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