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何かをするときに「心を込める」と意識が育つらしい

小さな子供を抱える親としては、子供を自由にのびのびと育てたいと思っています

SNSやウェブを通じてそのために様々な学びや情報も収集しています

株式会社 日向の鳥辺康則です(^◇^)

様々なアドバイスを読んだりしているとちょっとだけ重要なことがわかります

それは親として良かれと思って行った行動が子供にとってはプレッシャーになったり、強制力になったりしてしまってることです

僕は特に6歳くらいまでは自由気ままに育てたいと思ってます

そこで重要なのは子供が興味あることや好きなことを極力止めないと言うことだと思っています

なぜならば好きなことや好奇心を止めると意識や能力の芽を摘んでしまうことになると思ってます

そんな時ある方のブログで子供の意識についての文章がありました

「意識」は、何かを「自覚的」に意識しそれと関わる家庭で育っていきます。

何かわかるようで、わからない文章ですよね

意味は、何をするにしても意識的に行うと言うことらしいです

お料理やお洗濯でも、意識を使ってやれば「意識」育っていくと言う事らしいのです

意識を使ってやれば「意識」が育つ?

一休さんの問答をやっているように感じます(笑)

僕なりの解釈で言うと、意識を使うと言う事は「心を込める」と言うことだと思うのです

心こめてお料理を作る

心を込めてお掃除をする

つまり、どんなことでも心を込めて行うのなら、その活動を通して意識は育っていると言うことだと思っています

しかしそこで問題が起きてきます

どんなことでも心を込めてできるのか?

答えはNOだと思うのです

自分から自発的にやろうと思ったことだけに心が込められると思います


例えば子供で言うと、心を込めて勉強してる子などいないと思うのです

勉強しなければいけないと言う義務感からは発生しないと思うのです(勉強の楽しさを知ってる子は心を込めて勉強できるとも思っています)

つまり受動的なやらされてる感や義務感からはワクワクした感覚は生まれず心を込めることはできないと思います

人は能動的にワクワクして好きなこと、興味あることには心を込められると思っているのです

毎日の生活も心を込めて能動的にワクワクしながら行っているのなら意識は育っていくと思います

歩くのも、話すのも、それが自分自身から能動的に発せられるものであれば心を込められると思うのです

合気道や武道を習う時も「心を込めて動く」と言うことが大切だと言われます

心を込めて動かないと、動きを意識化できないし、気が動かないかららしいのです

心を込めた動きにはパワーがありますが、心が入ってないときにはなぜかパワーがないのです

そんなことを思っていると「心を込める」と言う事は「意識の力を使う」と言うことになるとも思うのです

思いが全てを具現化し現象界を作っていると思っています

これは子供だけの話ではなく大人でも同じだと思います

自発的に自分から好きなことややりたいこと、ワクワクすることや興味があることにしか心が込められません

仕事でも上司が言ったからやる、仕方なくやる、お給料のためにやるなどからは心がこもった言動はできないと思うのです

同じやるんであれば楽しみながら能動的にワクワクしながら心を込めて行いたいと思います

それが意識を育てるコツらしいのです

例えば道に落ちてるゴミを拾う時でも違いが出ると思うのです

誰が捨てたんだ!とイライラしながら義務感で拾うのか?

これで道がきれいになるとワクワクしながら喜んでいるか?

この意識の違いって大きいと思うんです

同じやることならば自発的に能動的に楽しんでやる癖をつけると本当に意識は育っていると思っています

小さい子供はそのことがわからないので、僕はやりたいことや好きなことを意識的にさせようと思っています

それがもしかすると心を育てる教育になると思っているのです

そんなことを感じてブログに書きました(^◇^)

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