「遊び」は「学び」に必要だと思っています

今まで様々なマーケティングの先生から多くのことを学ばさせていただきました
そのことについては本当に心から感謝しています
株式会社 日向の鳥辺康則です(^◇^)
中には本当に私語が許されず厳しい学びもありました

怒鳴られたりモノを投げつけられたりするセミナーもありました
地獄の特訓的な自己開発セミナーもたくさん受講させていただきました
そこで私が思うのは、軍隊教育的な学びのセミナーは私は必要ないと思うことです
三日間睡眠を許されずにひたすら怒鳴られたら人は精神的におかしくなります
そこから気づきが生まれるかもしれませんが、楽しくなければ殺意しか生まれませんでした

もちろんそれらのセミナーで多くの学びを得たいと思ういと思うので否定は致しません
あくまでも僕自身の感覚として合わなかったと言うことです
ちなみに途中で逃げ出したり挫折したセミナーはありません、どんなに過酷でも全て終了しています
しかし、僕は小さい頃から思っていたことなのですがなぜ怒鳴られて叱られて強制されなければ学べないでしょうか?

もともと日本の義務教育制度は欧米における「支配層が大衆をコントロールするための手段」をベースとしているのです
つまり学校教育は軍隊の第一段階であり、義務教育は子供たちを産業と国家の利益にかなうように教え導く手段であるのです
ですから同じ制服を着せられ、丸坊主にさせられ言うことを聞かない生徒は罰せられる
小さい頃からそのことに馴染めずに何十回ぶん殴られたでしょうか?

今でも前歯がないのは先生からぶん殴られたことによるものです
理由は、「起立・気をつけ・礼」のタイミングがちょっとずれただけのことです
こんなことで本当に拳でぶん殴られて歯が折れました
今だったら刑事事件になりとんでもないことになりますよね
学びの本質はワクワク感や楽しさだと思うんです
小学校と中学校はそのことと戦い、高校は結局挫折して中退しました
軍隊的教育は私には全く合いません

怒りと憎しみと殺意しか生まれませんでした
なぜ遊びが学びに必要だと思うかと言うと・・
遊んでいるときの脳内では、様々な種類の記憶が互いに新しい組み合わせを作り、発見が生まれやすい状態になっているからです
学びで必要な思考回路は「楽しさ」や「好奇心」がスイッチとなって後押ししてると思ってるのです

小さい子供を育てていても私は、子供の生まれ持った才能を信じています
また、本人の意思に従って行動できるように導くように努力してます
恐怖や強制から生まれる学びは、深い部分に入らないと思っているのです
人は集団の中で生きるので、好き勝手やっていいと言うことでありません
どのようにして好奇心をくすぐり、楽しくワクワクする感情を引き出すかが学びだと思ってるのです

強制的な恐怖を伴った学びとワクワクした楽しい学びとでは全く違うものを受け取ると思ってます
地獄の特訓的な恐怖で支配したセミナーで得たものは忍耐力だけです
そこで教わった事は今何一つ思い出せません
そんなことから私自身は「遊び」は「学び」に欠かせないと本当に思っています
それは学びだけではなくて仕事にも必要だと思ってるのです

仕事をサボって遊ぶと言うことではありません
仕事をする時もワクワク感や楽しみは必要だと思うのです
上司から言われたからいやいややる仕事
楽しくないのに毎日会社に行く気持ち
言われたからただやるだけの毎日
このような気分なのであればその会社をやめたら良いと本当に思ってます

学びも仕事も「遊び」がなければ長続きしないと思っているからです
様々な意見があると思うのですが、私が義務教育を受け、社会に出て様々なセミナーを受ける中で感じたことを今回はブログに書きました
美と健康を通して地球環境浄化(^◇^)
地球の応援団長こと鳥辺康則です。
初めて私のブログをご覧頂ける方はコチラもご一読頂ければ幸いです。
》鳥辺康則(とりちゃん)の生い立ち
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