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このような時期だからこそ「言葉の力」を再度考え直してみました

言葉によって人を幸せにすることができれば、傷つけることもできます

言葉によって人生はいかようにも変わると言っても過言ではないと思ってます

株式会社 日向の鳥辺康則です(^◇^)

言葉は人間が生み出した最強のツールでもあると思っているのです

それにより、気持ちを伝え・情報を共有し・思考を進化させてきたと思います

空海が日本に伝えた密教では「はじめに言葉ありき」教えています

言葉の中に全世界・全存在・全真理が収まっていると言うものです

様々な修法が体系づけられ、大いなる存在(大日如来)が宇宙を司ると言う理論が確立するのに、言葉が絶対であったことを示しています

その中でどのような会話や言葉の心がけが重要なのか?

昔読んだ本でこのようなことが書いてありました

会話では「中庸」を心がけていきましょう

喜怒哀楽のどの感情も起きていない状態を「中」と言う。

感情が起きてもそれが節度を保っていれば、これを「和」と言う。

子思 儒教の目指すところは「中庸」。

「中」と「和」を合わせて中和といいますが、これは中庸と同義語と考えて差し支えないそうです。

中庸とは感情を「節度を保ちつつ」表すこと。

つまり、怒るべきときに怒り、悲しむべきときに悲しむことをいうわけです。

感情をむやみに抑えつけて耐えるのは下策であり、ときと場合に合わせて適切に表現するのが本物の中庸。

したがって、まずは感情を適切にマネジメントする必要がありますが、それは感情を抑えつけろという意味ではありません。 感情のマネジメントとは、感情を内と外に向けて解き放つこと。

内に向けて感情を解き放つことが瞑想と悟りであるとすれば、そのような感情を外に向けて表現することが中庸であるということです。

これを言葉に当てはめると、「中庸な話し方」となる。

それは吐き捨てるように話したり、あるいは言いたいことがあっても飲み込んでしまったりする習慣を捨てて、ときと場合に応じた適切な言葉で自分の感情を表現することだ。

つまり、言いたいことを我慢したり、その時の感情に任せた言葉を発したりしないと言うことです

僕の考える「中庸」とはバランスだと思っています

思った事は口に出すのですが、感情ベースで出すのではなく相手の立場や考えを受け入れた上で発するべきだと言うことです

腹の立つ状況でもないのに怒りが込み上げるのなら、それは自分自身の問題。

しかし本当に腹の立つことが続く場合は、ただ怒りを抑えてばかりはいられません。

したがってそんなときは、自分が怒っているということを、それとなく相手に知らせた方がいい。

それが自分の精神衛生と、そして相手との関係の持続のためにもなるから。

もちろん怒りを過度に表現したり、極度に抑え込むべきではありません。

感じた分だけ表現し、常識的にいって“怒っても無理のない状況”だということを、相手にわからせるのが賢いやり方だということ。

なお、これは怒りを表す時だけの話ではないそうです。両手を打って初めて音がするように、相手がいてこと会話は成り立つもの。

悲しい話には悲しい反応を見せ、うれしい話には一緒に喜ぶこと、それこそが人間関係と会話の基本姿勢だということです。

会話とは相手がいて初めて成り立つものだと思います

喜怒哀楽を相手と共有することによりできる信頼関係ってあると思うんですよね

最近起こりっぽい人が多いのでアンガーマネジメントと言う感情コントロールが大切だと言われています

感情に任せて言葉を発してしまえば、その言葉は何倍にもなって自分に返ってきます

それが法則だからです

逆に良い言葉を心の底からすれば、それも何倍になって自分に返ってきます

言葉のスタートは挨拶からといいます

挨拶はされるものではなく、するものだと私は考えています

清々しい挨拶をされて嫌な思いをする人は少ないと思います

そんなことから今日1日スタートしてみたらきっと何か変わるような気がします

思ったことをブログに書いてみました(^◇^)

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