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どんなに地獄でも生き抜こうとする力から学ぶこと

昨日に続き本日も映画「異端の鳥」を観ての感じたことをブログに書きます

今年見た映画の中で最もショッキングで深いものを考えさせられる作品でした

株式会社 日向の鳥辺康則です(^◇^)

物語は戦時中のホロコースト(大量虐殺)から逃げるために、一人の少年が度重なる地獄から這い上がろうとする物語です

https://m.youtube.com/watch?v=pMmmNR8jFF8

肉体的、精神的、生理的地獄が信じられないくらい次から次へと少年を襲います

その中でどんな苦しい地獄でも生き抜こうとする少年の姿に考えさせられるものがあります

世界を見ても貧しい国で貧富に苦しむ人たちは必死に生きようと頑張っています

1日わずかなお金で一家全員が食べ物を確保しなければいけない状態の中、本当に生きることへの希望を持ち目が輝いています

しかしお金も物も地位も持っている豊かな国の人たちはなぜか生きることへの希望をなくし死ぬことを選択する人が増えています

日本でも8月には、全国で1805人が自殺で自ら命を絶ちました

特に若い女性は自殺する人が増えているようです

華やかな世界で成功をおさめて人から羨ましがれるはずの芸能人が次から次えと自殺しています

なぜ苦しい立場の人間が必死で生きようとして、豊かな国の人々が死に急ぐのか?

幸せって何なんだろうとつくづく考えさせられます

どんな条件が揃えば人は幸せと言えるのだろうか?

一般的にはストレスが大きな原因になっていると言う人もいます

もしそうなのであれば、戦争体験している人々の方が日々死ぬ覚悟を決めながら大きなストレスを感じてたように思います

しかし戦時中の人たちは、必死に生きようとしてたはずです

映画の中でも、目を背けるような地獄の中で少年は必死に生きることを選択します

死に急ぐ若者たちの原因は、心の孤独が原因だったのでしょうか?

精神科医であり心理学者のヴィクトール・フランクルも様々な言葉を残しています

彼はナチスの強制収容所で実際に地獄を味わいながら生きることを見出した1人です

後に彼は世界的ベストセラーとなる「夜と霧」を出版しました

ナチスの強制収容所で地獄の日々を味わう中で、生き残る人と死に行く人といたそうです

何が違うのか?

自分の苦境に意味を見いだせるかどうか?

彼は地獄の強制収容所の中で自分が生きる意味を見出せたと言うことです

彼が残した言葉はたくさんあります

人は強制収容所に人間をぶち込んで全てを奪うことができるが、たったひとつ与えられた環境でいかに振る舞うかと言う、人間としての最後の自由だけは奪いない

苦しみを本当に受け入れられた時、限られた生を意味あるものにしようと覚悟が決まるみたいです

神ですら人間の自由意志は奪えないのです

たとえどんな状況に置かれても、人は自分の意思で自分の人生を決めることができる!

人生が終わる再期まで生きる意味や価値は自分が持ち、決断するものであると言うこと

幸せは、目標ではないし目標であってもならない。そもそも目標であることもできません。幸せとは結果に過ぎないのです。

どのような状況になろうとも人間にはひとつだけ自由が残されている。それはどう行動するかだ。

涙を恥じることはありません。その涙は苦しむ勇気を持っていることの証なのですから。

苦難と死は人生を無駄にしない。そもそも苦難と死こそが人生を意味あるものにする。

彼の言葉は表面的に捉えるのではなく、一つ一つ深い意味があると思っています

どんな地獄や苦難の中でも、自分がどう生きるのかは決めることができます

死ぬことを選択するのではなく、どんなことがあっても生きることを選択してほしいと願っています

少しでも死のことを考える人がいたらこの映画を見てほしいです

この映画で少年が体験する地獄に比べれば、自分の置かれている立場はまだ少しはまともだと感じると思います

そして必死になって生きようとする姿から何かを感じて欲しいと思っています

精神的に追い込まれた人は視野が狭くなり正常な思考ができなくなるとも聞いています

それでも生きることをチョイスしてほしいと思っています

そんなことを思ってブログを書きました

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