挨拶は人間関係の基本的潤滑油であると思います
人間は集合体の中で生きている生き物だと思ってます
人と関わり、人と接することで様々なことを感じ取ったり学ぶんで言ってるんだと思います
株式会社 日向の鳥辺康則です
つまりは人間は一人で生きているのではなく、人と関わりながら生きていってると思ってます
しかしたまに私は一人で生きていると言う人を見かけます
仮にその人が無人島で自給自足の生活をして一人で生きているとしても、必ず誰かと関わってると思います
誰一人として自分一人で存在できる人間はいないと思います
もしも両親が出会わなければ、自分の命はこの世に誕生しなかったのです
関係性のなかを生きている私たちは、自分一人で生きていくことはできない
食べ物として動植物の命をいただき、誰かがつくった道具を利用して調理し、木材を使って職人が造った家で衣食住を満たす
他の人の力を借りなければ、生きていくことはできないと思ってます
だこらこそ大切なねが人間関係です
人間関係の基本的な潤滑油として「あいさつ」があります
人間関係とは知ってる人だけの関係性ではなく、社会全般の知らない人を含めての事を言います
マンションに住んでると、エレベーターで会う人に私は必ず挨拶します
おはようございます。こんにちは。お先に失礼します・・・などです
しかし多くの人が無視をします
それに対して私は悔しいとかなんでと言う感情は持っていません
自分が挨拶が大切だと思うからしてるだけなのです
飛行機に乗る時も、キャビンアテンドさんが必ず挨拶をします
それに応えているお客様はほぼいません
でも私は必ず挨拶を返すように心がけています
バスを降りる時もありがとうございましたと一言必ず言うようにしてます
なぜならばとても大切だと思ってるからです
挨拶の中で、特に大切にしている言葉が「ありがとう」と言う言葉です
コンビニでものを買った時も必ずありがとうと言うようにしてます
しかし、それに対してSNSでは様々な議論が起こってます
それは「お客は店員にお礼を言うべきか」という問題です
「サービスの対価を払っているのだから、客が店員に『ありがとう』と言う必要はない」
「いやいや、お金を払っているからといって、客と店員に立場の上下関係があるわけではない。してもらったことにお礼を言わないのはおかしい」
「細かいことは気にしていないけど、自然と『ありがとう』と言ってしまう」
などさまざまな意見があがります
こちらが何かをしてあげたから、何かを返してもらうのは当然である!
このような考え方に立っているうちは感謝の気持ちは生じなくなると思います
普通に感謝できる人間になるにはどうしたらいいのか?
ヒントになる仏教語が「知恩」です
「恩を知る」と書きますが、この教えは感謝することの大切さを説いています
恩という字は「因」と「心」の二つの字から成り立っています
つまり「原因」となったものを洞察できる「心」をもつということです
そうして初めて恩を感じることができるのです
このような観点で物事を見ていくと、たとえ対価としてのお金を支払っているのが自分であったとしても、施してくれる相手がいなければ何かを享受できないことに気がつくことができます
そこまで想像力が働けば「してもらってあたりまえだ」という傲慢(ごうまん)な心ではなく、「していただいて有難い」という恩に変えていくことができるのです
「うれしい」「楽しい」「美味しい」など、幸福感を感じたときににそれが何によってもたらされたのかを深く洞察することで、自然と「あたりまえではなく、有難いことなんだな」と思える感性が育っていくと思います
周囲のことに感謝ができなくなったときは、不幸に陥っていく黄色信号かもしれないのです
全て自分の身の回りに起きている事は、当たり前ではなく、多くの目に見えないものによって支えられているのです
そう思うとおのずと様々なものに感謝できます
子供たちにも挨拶の大切さを教えています
教えるだけではなく、私自身が毎朝元気良く挨拶します
そのことによって、自然と家族間の中で挨拶が当たり前の環境ができます
とっても大切なことだと思うのでブログに書くことにしました
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