強すぎるプライドはこれからの時代弊害になると思っています
剣豪として知られる宮本武蔵は非常にプライドが高い人間だったことで知られています
彼は生涯「仕官」(大名などに使えること、現代風に言うと就職)ができない人生だったと言われます
株式会社 日向の鳥辺康則です(^◇^)
なぜならばあまりにもプライドが高すぎて組織の中では輝けなかったと言うことです
晩年武蔵が自分の思想をまとめた書物「五輪書」中でこんなことを書いています
「私がマスターしている兵法の理論に照らし合わせれば、すべての芸能・技能の類をこなすことなど容易い。全分野で私に師匠など必要ない」
ものすごいプライドが高く自信があったことを窺わせます
私自身は「プライド」は否定的なことではなく長年蓄積されてきた自分自身の守るべきものだと言う考えです
宮本武蔵はプライドがあったが上に世界一の豪剣になれたのも事実です
しかしプライドが邪魔して成功者にはなれなかったと言うことです
いったいこのプライドって何なんでしょうか?
現実社会の中でも、本当は辛い・しんどい・泣きたい・誰かに頼りたいと思ってもなかなか素直に人に表現できない人が多いです
過去の経緯やプライドから素直に他人に伝えたり相談することができづらくなっています
自分が守り抜いてるプライドとは、ある意味自分自身が持っている「弱さ」なのかもしれません
本当はプライドなんか捨てて弱い自分をさらけ出すことができたらどんなに楽なのか?
そもそも「弱み」とは何なのか?
それはきっと、人には知られたくない素顔、性格、事実、過去だったり、おそらく無数にあると思います
その弱みを作り出している根本的なものは自分を守りたい、よく思われたいと言う概念だと思います
それをそっくり捨てると言う話ではありません
プライドがあるがゆえに生きるための活力が生まれているのも事実です
しかしプライドが強すぎると周りからは受け入れられずに孤立するパターンが多いです
そもそも自分にとって「弱み」と言う名のプライドがあったとしても実は家族や近い関係の周囲の方々にはばれているとことです
自分では必死に隠してきたつもりでも当の昔から周りの人はそんなことわかってます
人はどんな人でも「弱み」を持っています
自分と言う存在はその「弱み」をひっくるめての存在となり、それをひっくるめて受け入れられることが大切です
完璧主義者を目指さずに、弱い自分をさらけ出すことによってさらに周囲の人はあなたに信頼をせることだと思います
お釈迦様の言葉でこんなエピソードがあります言葉でこんなエピソードがあります
「避(さ)くべきを避くべしと知り、避くべからざるを避くべからずと知る。このように正しい見方のできる者は、幸せの道を歩むなり」
普通は避けたいと思ってしまう自分の「弱み」を「弱み」としてきちんと認めることが大切であり、それが人を幸せに導いてくれるということですと言う意味です
どうしても自分の「弱み」を認められない人は、執着や頑固さや意地によって余計に苦しみが増大すると思います
これからの時代は無理して虚勢を張ることではなく、人間味のある素直な人が好まれると思ってます
弱みがあるこそ人間味があって信頼されるのです
そんな弱い部分がある自分もまた大切にしてあげてほしいと思います
どんなに隠してもばれる時代です
素直に認めて少しずつ周囲の人に話しかけることも必要かもしれません
そんなことを感じてブログに書きました(^◇^)
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