「あたり前の日常」に感謝することって難しいけど大切だと思います
当たり前の日常に感謝することって忘れがちですが、とても大切だと思っています
なぜならば人間は生きているのではなく、生かされていると思っているからです
株式会社 日向の鳥辺康則です
朝起きて呼吸できることに感謝してますか?
26年前にある方から聞かれた質問です
えっ何言ってんの?と当時思ったのが私の本音です
その方が言いたかったことは「自然の法則の中で生かされているのが人間である」と言うことです
朝起きて呼吸できると言う事は酸素があるからです
世界中のどこにいても呼吸ができると言う事は、海と森から酸素をいただいて、海と森が健康であるからです
他の動植物の働きに生かされているのです
大地と空・宇宙・そしてこの地球上のすべてのものが調和し生きてるのではなく、生かされているように感じます
そんなちょっとした日常的なことに感謝できるかどうか?
もっと言えば、その日常的なちょっとなことに意識を向けられるかどうかだと思ってます
現代社会は“便利な日常”をごく「あたりまえ」のこととして感謝することもなく過ごしてしまっているのではないか?
家に帰ってきて電気をつけて明かりがつく
台所に行って蛇口をひねれば水が出る
スーパーに行って買い物をすれば様々なものが買える
欲しい商品をオーダーすれば自宅に届けてもらえる
これら全て当たり前のように感じてますが、本当に当たり前なのでしょうか?
そこには、電力会社で働く人や日本の水道水を管理する人・スーパーで売ってる食材を生産してる人・それらを物流で運んでくれてる人・・・
様々な方々の見えない働きがあって当たり前が起きている
たとえば大きな地震が起きて停電や断水が起きたりするとたちまち困ってしまいます
そして電気や水がいかに大切で必要なものだったかを痛感し、それが復旧すると「ああ、よかった。ありがたい」と感謝する
ところがしばらく経つとそんな思いなどすっかり忘れてしまう
以前と同じように“何事もない日常”があたりまえだと思うようになってしまうのです
でもそこで考えなきゃいけない
私たちのまわりにあふれているあたりまえは本当にあたりまえなのか?
もちろん、当たり前の日常に感謝するだけではなく、周りの人々にも感謝することが大切です
その基本が親であったり家族です
親が何かをしてくれるのが当たり前ではなく、家族が助けてくれるのも当たり前では無いのです
親に感謝してできるか?身近な家族に本当に感謝できるか?
これが人々へ対しての感謝の基本だと思ってます
日本人は「ありがとう」と言われる回数が極めて少ない国民と言われてます
日本人が一日に「ありがとう」という回数の平均は7.5回です
それに対していわれる回数は4.9回で、いう回数の約3分の2にとどまっです
多くの人が、日ごろ「ありがとう」をいう機会より、いわれる機会のほうが少ないと感じているということです
それだけ感謝を言葉にすることが少ないのかもしれません
感謝を言われた人も、しっかりと認識してないのかもしれません
アメリカの作家ウィリアム・アーサー・ウォードは、こういっています
「感謝の気持ちを感じたのにそれを伝えないことは、プレゼントを包んだのにそれを渡さないようなものだ」と
感謝を人に伝えることをとっても大切なことに感じます
あたりまえのことをあたりまえと思わず、小さなことにも感謝できるかどうか?
日本を代表する経営者であった稲盛和夫さんも次のように語っています
「人は自分一人では生きていけません。空気、水、食料、また家族や職場の人たち、さらには社会など、自分を取り巻くあらゆるものに支えられて生きているのです。
そう考えれば、自然に感謝の心が出てくるはずです。不幸続きであったり、不健康であったりする場合は『感謝をしなさい』と言われても、無理かもしれません。それでも生きていることに対して感謝することが大切です。
感謝の心が生まれてくれば、自然と幸せが感じられるようになってきます。生かされていることに感謝し、幸せを感じる心によって、人生を豊かで潤いのあるものに変えていくことができるのです」
生かされていることに感謝し、幸せを感じる心によって人生を豊かで潤いのあるものに変えていくことができる
「それでも感謝しなさい」by 稲盛和夫
今後は特にAIが発達し便利な時代が来ると同時に人との関わり方が問われる時代だと思ってます
コンビニに買い物に入っても一言も、言葉を発することなく買い物ができます
アマゾンで頼めば人と会うことなく商品が購入できます
そんな世の中だからこそ、感謝することってとても大切だと感じたんです
そして少しだけブログに書くことにしました
最後まで読んで下さってありがとうございます
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