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「幸福」の価値観は人それぞれだと思うのですが幸福の敵も存在すると思うのです。

誰もが幸せになりたいと思っています

しかその「幸せ」と言う価値観は人によってバラバラだから、その人の心の満足感に比例してると思うのです

株式会社 日向の鳥辺康則です

幸福はその人の考え方と心の状態が左右するものだと思うのです

〇〇だったら幸せになる!などと言ってる事は永遠に幸せになれないと思ってます

ないものをねだり今の現実を受け入れられるんであれば、仮にそれが手に入ってもまた受け入れられない状態になると思うのです

特に私は幸福の敵は存在すると思っています

それは「他人と比較すること」です

〇〇さんみたいだったら幸せなのに!

他人と比較することで湧いてくる感情は、嫉妬や妬みです

この嫉妬や妬みこそが幸福の最大の敵だと思ってます

人間にとって最大級の不幸のひとつだと僕は思っています

人は同級生や周りの同僚が成功すると、喜ぶと言う感情と同時に嫉妬が生まれる人も多いです

この表面意識的な嫉妬や妬みがどれだけ自分の幸せを遠のいていくか?

ダンデミスという人が言っています

「他人の幸福をうらやんではいけない。なぜならあなたは、彼の密かな悲しみを知らないのだから」

あなたが羨ましいと思ってる人も、陰ではたくさんの挫折をして努力をしてるのです

嫉妬する人にはそれが見えない

本来それぞれの人の中にしかない幸せを人と比較するのは間違いなく不幸です

そしてもう一つ幸福の敵があると言われています

「人から幸せだと思われていることが幸せ」だと思い込むことです

例えば、大手企業に入ると幸せ!

お金持ちの人と結婚すると幸せ!

東大を卒業すれば幸せ!

宝くじの一等が当たれば幸せ!

ラ・ロシュフコー『箴言集』の中に「幸福になるのは、自分の好きなものを持っているからであり、他人が良いと思うものを持っているからではない」という名言があります

幸福か不幸を決めるのは自分自身の価値基準しかありません

価値観は人によって異なります

本来は「自分が幸せと思うならそれでよしと」で話はおしまいです

ところが、世の中の最大公約数的な価値基準に乗っかってしまうと、いつまで経っても自分の価値基準がどこにあるのかわからなくなります

これは根本的な幸福の破壊です

一般社会で言われている幸せは、自分の幸せではないと言うことです

ドバイの石油王の息子として生まれれば幸せなのか?

野球選手になったら幸せなのか?

お金持ちになったら幸せなのか?

「他人が良いと思うものを持っている」ことが幸せになってしまうという成り行きの典型です

幸せとは、自らの心と頭の状態を反映しています

幸せの価値基準は一人一人違うのです

自分にとって幸せとは何なんだろうか?

周りが思ってる幸せと同じと思うことこそ、不幸な事はありません

そのためにも、自分の幸せの基準をしっかりと見つめ直す必要があると思います

そんなこと思ってブログを書きました

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