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常識やルールを守るべきと言う価値観は本当に正しいのか?

「土の時代」から「風の時代」へ変わったと言われて数年経ちます

でも本当の意味では今からが100%風の時代ではないでしょうか?

株式会社 日向の鳥辺康則です

今の時代は本当に様々な価値観が入り乱れ、どれかひとつが正解なんてことないと思ってます

価値観が多様化し正解やルールが目まぐるしく変化するからです

「成功」や「豊かさ」に対する価値観も変わってきています

何を持って成功とするのか?豊かだと言えるのか?

人の価値観の多様化によって答えがない時代です

それと同じように我々が思い込んでいる「常識」や「ルール」というものも実は答えでは無いような気がします

日本の中では、ルールとは守るべきものと教わります

もちろん法治国家である日本では法律と言うルールは守らなければいけないと考えてます

でも、それ以外のルールって多くが脳の刷り込みによって作られたものなんではないかと思っちゃいます

例えばエスカレーターに乗る時に片側を開ける

関東圏では右側を開けて、関西圏では左側を開ける

誰が決めたんでしょうか?

最近JRを始めとして、多くの交通機関では片側を開けることを廃止する流れを強めています

もともとルールでも何でもないものを固定観念でそう思い込んでいるのです

それによって輸送スピードが2分の1になってることを誰も気づかないだろか?

混んでるのに片側開けてたら大変です

他にも子供は絶対学校に行かなければならない

ある意味では常識であり、当たり前のルールみたいなもんですが、絶対ではないと思ってます

何かの理由で学校に行きたくないと思う子が増えています

でも親は行くのが当たり前!と言う自分の物差しを子供に押し付けてしまっているのではないかと思います

それって絶対なんでしょうか?

答えのない時代なんです

日本以外の国ではルールとは変化させるものと言う考えがあります

より良くさせるためにルールがある

ルールが変わらないなんて言う事は思考停止だと言うことです

常識も同じようなものです

私たちが持っているそのルールはいつどんなときでも最適解であるとは限りません

だから時代の変化や価値観の変化とともにルールは変えていくべきだと思ってます

ルール=守るべきものという思い込みを捨てて、他者の決めた定義に従って生きるのか自分で定義を決め直して生きるのかが大きな分かれ目になるかもしれません

ルールを破るということではありせん

他人の常識やルールに従って、自分に本当にやりたいことや心からの要求を無視しないでほしいということです

自分の行動を振り返った時、他人が決めた「定義=ルール」に自分が無意識に『とらわれている』場面はないでしょうか?

そもそもなぜ「ルールはいつでも守るべきもの」という思い込みに縛られてしまうのでしょうか?

答えは簡単です

誰かが決めたルールに従うことはラクだからです

ルールに盲目的に従うというのは思考停止をしていることなのです

過去の常識や囚われ・ルールや決まり事などが絶対ということはありません

重要なのは他人のモノサシで支配されて生きるのではなく自分のモノサシを持つということです

今回はそんなことを思ったのでブログに書きました

正解ということが多様化している時代です

人によって、正解はコロコロ変わっているのです

だから何が正解かを決めるのは自分自身だと言うことです

最後まで読んでくださってありがとうございます

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