情報量が多すぎる社会の中で自分らしさを持ち続けるのは難しいと思う
現在は情報が溢れすぎて、何が本当で何が間違いなのかわからない時代だと言われています
そんな情報に振り回されて、自分らしさが揺らぎやすく何事にも既視感を持ちやすいといった激動の時代と言われています
株式会社 日向の鳥辺康則です
情報が多すぎる時代の中でどのように自分らしさを維持できるのか?
現在は手元にはいつでもスマホがあり、いつでもどこでも何でも情報が無料で入る次第です
かつては、情報と言えば新聞や雑誌などから積極的に情報を取りに行ってました
情報とは「買って取りに行く」もの
しかし現代はどうでしょう?
タダで手に入るのは前提になり、取りに行くどころか勝手に流れ込んできてしまいそれでも多すぎるので、「いらないものを捨てて最適化する時代です
スマホで画面さえつければ、次から次へAIが最適化した情報が流れ込んでくる時代です
情報を無料で探さなくても勝手に舞い込んでくる
情報が多いということは我々にとって「選択肢が多すぎて、意思決定が大変になっている」ということなんです
情報も選択肢も多すぎていつも目移りしていて、何かを決めたところで「もっといい選択肢がある気がする」感覚が常にまとわりついてくる
正解のない時代の中で、自分の選択が正解であって欲しいと言う願望に取り付かれるのです
でも実際は正解なんかないんです
自分の直感やワクワク感を優先する時代だと思うんです
考えれば考えるほど、結果は自分が想像していたものと違うものになります
そこで一番邪魔になるものが固定観念と言うものです
〇〇すべきだ!〇〇しなきゃいけない!みたいな固められた観念なんです
「一杯目はビールってもんだろ」
「若手は二次会までついてきて、イヤでもカラオケ歌うもんだろ」
「女性は仕事より家庭を優先するもんだろ」
「黒人は白人より、社会的に地位が低くて当たり前ってもんだろ」
「儲けのためなら、社員が不幸でも、環境が汚染されても問題ないだろ」
このような昭和世代の観念が、いまだにはびこっている世界です
この社会ではこのことについては、こういうことにしておきましょう」という約束みたいなものがたくさんあるんです
それが時代の変遷によって機能しなくなり、「古い約束の破棄」をするために上書きする新たな約束が生まれる悪循環が繰り返される
でも、その約束って法律でもなければルールでもないんです
固定観念から生み出された特有のマインドなんです
それに縛られると情報が多いだけでも苦しいのに選択がおかしくなるんです
さらに、最悪の情報は他人の成功や幸せの比較です
日本人は他国の人と比べて他人と比べてしまう性質が大きいです
他人と比べて苦しんでいる方が多いんです
他人をうらやむばかりでは 絶対に自分らしくなれない
自分は自分他人は他人と言う精神を強く持たなければ、多くの情報の中で比較して自分が惨めになってしまうんです
かつて「国民総幸福量」で世界的に注目されていたブータンが最近は幸福度ランキングの上位からすっかり遠ざかっています
なぜなのでしょうか?
当時よりも国外の情報が流入するようになって「あれ、僕らってもしかして貧しいのでは?」と揺らぎを覚えたからともいわれています
他人と比べることによって、自分たちが本当に幸せなのかと言う疑問を持ってしまったのです
隣の芝生は青く見えるもんなんです
そうやって比較することによって、幸福度は一気に下がります
もし知らなければ世界一幸福だったのに
これはブータンだけの話じゃなくて、我々の日常生活でもあることです
情報が向こうから勝手に追いかけてくる時代の中で、自分を確立するのはより難しくなっているんですよね
過去の価値観や固定観念からの脱却
他人との比較をやめて自分は自分と言う価値観を持つ
情報を鵜呑みにするのではなく直感やワクワク感を優先する
そんなことが大切な時代なんではないでしょうか?
そう思って今回ブログに書きました
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