映画「グレイテスト・ショーマン」を観て思うこと
美と健康を通して地球環境浄化(^◇^)
地球の応援団長こと鳥辺康則です
先日 映画館で「グレイテスト・ショーマン」を観てきました
久しぶりに涙がでました
内容は、19世紀半ばのアメリカショービジネスの原点を築いた伝説のプロモーターP・T・バーナムのドラマティックな生涯を描いた映画です
ショービジネスの創始者で元祖である彼が、今のサーカスの基礎を気づいたと言われています
P・T・バーナムがいなかったら私の大好きな、シルク・ドゥ・ソレイユがなかったかもしれないと思うと何事においても元祖の人は凄いと思います
時代は19世紀半ばですから、上流階級と下流階級との差別が蔓延してる最中、人種や見た目・階級を超えて人々を魅了したショービジネスを作り上げるのですからとんでもないことだと思います
オープニングのヒュー・ジャックマンの歌から始まり、最後のエンディングまでずっと泣いていました
なぜならば・・・
人種や見た目を超えて
実は私はこの映画を見ながら自分自身の体験とオーバーラップしていました
私の妻は日本人ではなく、フィリピン人なのです
今、妻との間に3人の子供がおり幸せに暮らしております
しかし、今から7年前に母にこのことが知れた時に言われた言葉があります
「フィリピン人との間に出来た子供は、絶対に孫と認めない!鳥辺家とも認めない!」
このことを言った母は何気なく言った一言かもしれませんが、私の中では一生心に傷つく、とんでもない言葉と今でも覚えています
妻が外人で、子供達がハーフというだけでこの現代でも様々な弊害や問題があります
学校ではいじめの対象になり、周りからは様々なことで特別視されます
同じ人間なのに、なんで差別されるの?
島国で育った日本人にとっては、肌の色の違う国の人や言葉の違う国の人は異質に見えるのでしょうね
下町のレストランでは露骨に嫌な顔されて、タクシーでも拒否されることもあります
いつからこんなに日本人は心が狭くなったのでしょうか?
映画の中でも上流階級と下流階級の絶対に交わらない差別的な思考
見た目を気にしながら真実の愛に目覚められないフィリップ・カーライルとアン・ウィーラーなど
深いものを考えさせられます
劇中ではフリークスと呼ばれる奇形者や障害者にもスポットライトが当たります
そんな彼らを1人の人間として向かい入れるバーナムは当時の時代背景からは本当に変わり者だったと言われています
見た目では無い!個性だ!
居場所が無く、周りからは冷たい視線でいつも見られていた彼らが初めて家族を持ち自分のいる居場所を見つけたシーンが忘れられません
個性は宝であり価値である
私が育った1,970年代は個性を出してはいけない時代でした
学校では徹底した軍隊教育で、男性は全員丸坊主、同じ学生服を着て、みんな同じになることを強制させられました
個性は悪!地毛で赤毛の女の子がいましたが、学校では大問題になり、最終的には他の中学校へ転入する事件にまでなりました
赤毛の何が悪いのか!
社会に出ても同じです
髪の毛は清潔に短くまとめて、ダークカラーのスーツを着て、白いワイシャツとネクタイをつける
外から見ればみんなおんなじサイボーグのように感じる時代です
しかし、今の時代は違うと私は思います
人間一人ひとりは生まれてきたのには、その人にしかできない「天命」「使命」みたいなのが必ずあると信じています
あなたの価値はあなたの中に宿る!
個性は悪ではなく「価値」であると思うのです
自分の好きなこと、自分にしかできないこと、自分が得意なことなど同じであるわけがないのです
違うからこそ価値がある!
一人ひとり違うからこそ楽しいのであり、学べるのであると思います
その唯一無二のあなたの価値をSNSに乗せて発信しないのはもったいないと思います
こんなに素晴らしい個性豊かなあなたと言う価値があるのだから、もっと外に向けて発信するべき時代だと思います
どんなに素晴らしい個性でも、知られてないのであれば「無い」のと一緒です
個性は隠さずにどんどん外に発信することにより、あなたに共感する人、あなたのファンになる人が必ず現れます
そんな時代だこらこそもっともっとあなた自身を発信するべきだと考えています
皆さまと共に圧倒的な個性を発揮していきましょう
美と健康を通して地球環境浄化(^◇^)
地球の応援団長こと鳥辺康則です。
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》鳥辺康則(とりちゃん)の生い立ち
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